GOSHIMA絨毯のこと【1】私たちが考える“絨毯”とはー絨毯と育むー

GOSHIMA絨毯をご覧いただくと、

「こんないいもの、子どもにはもったいないわ」
「なんだか踏むのがもったいないね」

そんなことをよく聞きます。
ですが、
それはほんとうに「もったいない」のでしょうか。

「もったいない」とは、
「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている状態や
そのような状態にしてしまう行為を戒める意味で使われる。」(wikipediaより)
とありました。

たしかに子どもは色々汚します。
ヨダレも垂らすし(それは大人だって)、
食べこぼしも激しい。
幼い子どもだったらお漏らししてしまうこともあるかもしれません。

だから、いい絨毯には触れさせない。
高いものだから。
どうせ汚れるから敷物は今は使い捨てのもので十分。

そんな風に思うのは当たり前かもしれません。
ですが、

大人なんかより感覚が澄んでいる「子ども」という時期に、
質感の良いものに触れる経験と
そういうものとの付き合い方、
長く使い込んでいけるための手入れの仕方、
汚したらどうすればいいのかを学ぶ体験をすることで
ものを大切にすることを自然と学び、
その一枚の絨毯はその子の人生の中にいつでも一緒にいた家族のような存在となっていくと思うのです。

GOSHIMA絨毯の価値とは、
色・柄でコーディネートを楽しむインテリアの一部のように
単なる敷物としての実用性の部分だけではありません。

GOSHIMA絨毯の価値には、
もっともっと目に見えない
「経験」や「記憶」というものを体験していける
育んでこそ手にできる長い時間軸での価値観があります。

愛着心が育まれるにはある程度の時間が必要です。
だから、
長く使えるために耐久性を持ったつくりであることや、
素材へのこだわり、
流行に左右されないデザインを追求しています。

ものには全て、そのものとともに過ごした時間が記憶されていくとしたら、
使い捨てのものは、捨ててしまえば、
そのものと過ごした日々の思い出ごと捨ててしまうということなのかもしれません。

絨毯についたシミは、
見方を変えれば、家族の、または、子どもの成長の大切な証となっていくのかもしれません。
10年、20年のちのとある日に、
絨毯についたシミついて、その時のエピソードを親が語ってくれたとしたら、
そこに、たしかに存在した自分の幼い頃の記憶が蘇って
自身の成長を振り返り、
嬉しい気持ちになるのではないかなと思うのです。

小さな頃から大事にしていたぬいぐるみや、
その心地よさになかなか手放せない毛布のような、
汚れても汚れても使い込んでいくほどに愛着を持ったものが
誰でもひとつくらいはあるはずです。

絨毯は、そんなものと似ています。
一緒に過ごした時間が濃密なほど、
ものに対する愛着心は深くなっていきます。

究極のことを言えば、
誰かに見せるわけでもない
家族のためにある一枚の絨毯は
どんどん汚して、
たくさんシミをつけて、
その家族だけがわかる、
世界にたった一枚、
「絨毯」だからこそできる
長い時間をかけて愛着を育む時間を楽しんでもらいたい。
そんな風に思います。

綺麗にしたくなったら、
クリーニングも、シミ抜きも、いくらでも方法はあります。

その前に、
使い込んでいくことの面白さ、
育てるということの意味を楽しんでみてはいかがかと思います。

汚れても大丈夫です。
自然の素材は、人間の生活の汚れくらい、懐深く受け止めるだけの力がありますから。

先日、お届けした一枚は、
生まれたばかりの赤ちゃんに贈る一枚でした。
自分の生まれた年にできた絨毯は、
これから続く人生にいつでも寄り添ってくれる
心強い相棒となっていくのでしょうか。

シリーズ記事[GOSHIMA絨毯のこと]
–目次–
【1】絨毯と育む
【2】絨毯のデザイン
【3】こだわりの厚み
【4】価格の決め方
【5】オーダーメイドで絨毯を作るということについて