モロッコ絨毯紀行 第3章

(この記事は、GOSHIMAを創った男・今井正人が綴るプロジェクトアーカイブ記事です)

独立してから食べて行くために現地でピカソと呼ばれていたキリムを「アールラトラス」(Atlās地方の芸術の意)とそれらしく名付け企画展を開いて販売したり、会社を無理に辞めたのだから退職金なんて申し訳なくて要らないと思っていたが、生活を心配した兄が一気に使ってしまわぬよう分割にして退職金を出してくれそれで生計を立てていた。

気になるモロッコのジムトンプソンさんの情報も少しずつメールで入ってきた。

帰国後、ヒシャムが絨毯商を介してジムトンプソンさんにコンタクトを取ってもらい僕の情報も伝えてもらっていた。

年齢は60代オーストリア人で長年絨毯の研究家として世界各地で染織の会議の座長を務めたりする傍、大学でも染織学で教鞭をとっていたらしい。

もちろん名前はジムトンプソンではなかった…

今はリタイヤしてモロッコでのプロジェクトに専念しているとの事。

しかしながら、モロッコに来るのは1ヶ月半に一度程度のペースだと。

しばらくやり取りは続き、10月の時はお会いできないが是非村に行って工房を見学してもらいたい旨の連絡が入り。

毎日居ても立ってもいられない状態。

早くモロッコに行きたい。

どんな絨毯を作っているのやら、、

それから程なくして待ち望んでいた博士(この頃にはジムトンプソンから博士に愛称が変わっていた)が作っている絨毯の画像も届いた。

うーん微妙、、、

素朴ではあるけどなんか大味。

デザインもなんとも言えない。

もし、博士のプロジェクト(正式名称がわからない)に参加するならやはり自分のオリジナルを作りたい。

それが作ってもらえるかなんて事はわからないけど話せばOKが出るはず、と勝手に信じる。

デザインはやはり洗練された路線で行きたい。

でも、デザインがすぐ出来るわけでもないので取り敢えず、スークで買い付けたピカソキリム(アールラトラス)のデザインで作ってもらえるか打診してもらう。

数週間後に返信メール。

ヒシャムの熱意もあって、博士すんなり受け入れる。

事が運ぶ時はこんなもの。

博士の現地パートナーAさんとヒシャムがやり取りは続く。

早速、買い付けたピカソキリム、アールラトラス(もはやどちらでも良い)の中でも洗練された画像を送る。

10月行くとき迄に作ってくれるように依頼。

最善を尽くす。と返信。

それまでの間、アールラトラスキリムを知り合いを伝って販売会を開く。

山形市のギャラリー、善光寺松葉屋家具店、猪苗代グリーンライフ、すでに古巣となったボー・デコールなど

珍しさやクオリティの高さで結構販売に繋がる。

生計が立つくらいは売れて有り難かったが、いくら売っても心の満足度は満たされない。

「既に売れる力のあるものより、売れるものを自分で作る事」

売れば売るほどモロッコの博士プロジェクトへの思いは馳せる一方。

いよいよ10月。

記念すべき第一回目の試作品を見てみたい。

最善を尽くし仕上がった。

あのキリム柄の試作品を見たい。

(続く

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